先の楽しみ

 友人とふたり、焼鳥屋で飲んでいたときにこんな話題になった。
「世界でいちばん幽霊が集まるところ、どこだと思う?」
 時短営業が解除されたばかりの夜は、酔客で賑わっていた。わざわざそんな与太話をするために飲みにきたわけでもないのに、わざわざそんな与太話に興じられるのが嬉しくもあった。
「なぞなぞ?」
「まじめな質問」
「墓場。病院。戦場」
「はずれ」と友人は笑った。「正解は映画館」
 やっぱりなぞなぞの類かと思った。日本でいちばん塩分の多い土地はどこだ? 土俵。といったやつだ。友人は真顔でつづけた。
「映画好きが寄ってくんだよ」
「はあ?」
「ほんとだって。おまえだって楽しみにしてた映画の続編とか、好きな監督の最新作とかが公開される前に死んだら、どうだ? 成仏不可だろ」
 たしかに。
「実は俺、こないだ見たんだよ。ていうか、いままでもずっと見てたってことだろうな」
 友人の経験談はこうだった。

 シネコンで地味な作品を鑑賞したとき、最初は自分ひとりしか座っていなかった。予約の段階で座席はひとつも埋まっていなかったので驚きはしなかった。名のある俳優が初めて監督に挑んだという作品だった。場内が暗くなってきたときに、ひとり、またひとりとシアターに入ってきた。コマーシャルと予告が流れるあいだにも、また何人か入ってきたふうだった。平日午後で、薄暗いなかでの動き方からも高齢の人々だと見てとれた。
「俺だって若くはないわけだけど」と友人は自嘲した。四十二歳だから、うなずける。
 映画はなかなかの出来だった。友人はいつものようにスタッフロールの終わりまで席を立たなかった。シアターに明るさが戻ったときには、ほかの客の姿はなかった。友人もシアターを出ようとした。ドアの外でスタッフが待機しており「ありがとうございました」と会釈された。清掃のため、友人と入れ違いにシアターの中に入っていった。
 通路を歩いていると、うしろからさっきのスタッフが追いかけてきて「お客様」と友人を呼び止めた。「文庫本をお忘れです」と本を渡された。上映前に読んでいた文庫だった。友人はありがとうと言ってから、疑問を口にした。どうしてこれが俺の持ち物だとわかったのか、と。若いスタッフは幼子に言うように優しく告げた。
「いまの上映回、お客様おひとりでしたので」

 だからつまり映画館には映画好きの幽霊が寄ってくる。そういう話だった。
「よくある怪談話のパターンだな」と俺は一笑に付した。
 ところがである。俺も映画好きなので足繁く映画館にも通うのだけれど、ほかの客たちをつい確認するようになった。まさかとは思うものの、幽霊がまぎれこんでいてもおかしくはないとも思う。
 なにより俺が、そうでありたいと願うのだ。幽霊になっても映画館に来れたらいい。暗がりで映画を観ていられるのなら、それは天国だろう。

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