シミュラクラ

点が3つあつまれば人の顔に見える。これを一般にシミュラクラ現象と呼ぶのだと教えてくれたのは友人の葉加瀬だった。一般の人は知らない名称だろうと僕が指摘すると、現象としてはありふれたものだから、そこに付与する名前も一般と呼んで差し支えないんじゃないかなと煙に巻かれた。
うちの壁のシミにそのことを伝えると、「そうでしょう、そうでしょう
と深く納得した様子だった。一般的だと認められて嬉しいのだろう。
おはぎを思わせる茶色のシミが大小4つ浮かんでいて、真ん中のちいさいのが鼻だった。
人の顔に見えるのは、見えるんじゃなく、ほんとうにぜんぶ顔なのだと、そいつに僕は教わった。葉加瀬にも伝えたけど、苦笑交じりに、病院、とだけつぶやかれた。
うちの壁の顔に名前を聞くと、「名前はない
と言われた。
「だってあなた、顔だけなのに名前があるほうがおかしいでしょう? 誰それの顔っていうことは言えるだろうけど、最初から顔しかないんじゃ固有名詞なんていただけませんよ。つるべおとしって知ってますか?

妖怪の名前だ。山奥でどすーんと巨大な音が聞こえる。それはつるべおとしという顔だけの妖怪が地面に落っこちた轟音で、旅人をびっくりさせるのが生き甲斐のさみしい妖怪。
「そう、そのつるべおとしもね、一般名称しかあたえられてないわけですよ。だからわたしたちみたいな顔だけの顔っていうのはね、“人の顔に見えるなにか”としか呼べないんです。やめてください、名前なんてつけないでください、みじめな気分になるだけです。そんなことするくらいなら、体、見つけてきてくださいよ」
顔が言うには、体だけに見えるシミが世界には点在しているそうだ。どんなふうか尋ねると、「そりゃあなた線が一本どーんとあって、あとは手足っぽいものがあればね、あ、しっぽがついてるとちょっとまずいですけどね」という。
まずは家の中を探索し、外でも目を凝らした。うち以外の、顔に見える顔たちに聞き込みもした。体だけに見えるシミは貴重なもの、というのが一般的な見解らしかった。「そんなの見つけてたら、いまごろこんなとこで顔だけさらすなんてしてねえよ」とスネられたりした。
そのうち僕のほうが、顔たちのあいだで有名になった。体を求める人間として。その噂がうちの顔にも伝わってきたらしく、捜索を諦めろと怒鳴られた。だれの指示で動いているのかという反論も受け入れるつもりはないらしかった。
「わたしがなんて言われてるか知ってますか? 人間の同情を引いて体を見つけてもらおうとしてる浅ましい奴って嘲られているんですよ。遊びならもうやめてください」
なんとなく、男の顔だと思っていたけれど、そのとき初めて、女なのかなと気づいた僕はごめんと謝った。だけどそれ以来、顔は言葉を返してくれなくなった。ねえ、とか、ちょっと、とか呼びかけるのだけれど、まるで無視だ。やっぱり名前をつけておけばよかったと後悔し、友人の葉加瀬に質問した。
人の顔に見える現象のことなんて言うんだっけ?
彼はうんざりした様子で答えてくれた。でも、家に戻るころにはもう忘れていた。

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