サンタ複数形

 電車のドアが開くなり、競歩がはじまった。勝負の相手は時間だ。六歳の息子が眠る前に帰宅して、サンタは自分じゃないのだと証明する約束だった。
 赤信号に足を止められ、スマホで時刻を確かめようとしたとき、剛の袖をだれかが引っ張った。振り返ると、見知らぬ老人が苦しげな目で訴えてきた。
「胸が痛いんだ。肩を貸してくれ」
 マスク越しに、しわがれた声で頼まれた。痩せて、髪もない老人だ。赤茶色のダッフルコートが似合っていて、俳優にこんな人がいた気がしたが名前は出てこなかった。
 近くのベンチまで連れていき、救急車を呼ぶかと聞いたが「すぐ落ち着く」と断られた。
「サンタ代行か?」
 老人は剛の持つ紙袋を目で指した。自宅に戻って、夜中まで車に隠しておく予定の品だ。
 剛がうなずくと、老人は「助かるよ」と口元をゆるませた。
「なにがですか」
「サンタも苦労してるのさ。いまじゃ多くの親が代行してくれるが、そうはいかないという子もな、まだまだ多い。トナカイたちにも手分けして配達させなくちゃならん。ほら、あれもそうだ」
 老人は上を指差した。ちいさな光が星空をまっすぐに進んでいた。
「飛行機でしょう、あれは」
「見えるのか? あんたの目は望遠鏡か?」
「違いますけど」
「サンタの複数形って知ってるか?」
 わけがわからず剛は首を傾げた。老人は再び空を見上げて言った。
「サンタ・クローセズ」
「え?」
「苦労す、ではなく、苦労せず。みんなが贈り物を届ける側にまわれば、世の中の苦労なんてぐんと減る」
 剛は眉根にしわを寄せ、新手の勧誘を疑った。いまさらながらに相手を怪しみ、老人から離れようと腰を浮かせかけた。
「どれ。手伝ってくれた褒美にこれをやろう」
 老人はポケットから球体を取り出した。ガチャのカプセルだった。それを剛に押し付けると、彼は身軽に立ち上がり、もと来た方角へ引き返していった。さっきまでの苦しみ方が嘘みたいだった。
 呆気にとられた剛も、すぐに気を取り直して帰り道を急いだ。
 交差点でまたも信号に引っかかった。足止めされている間にカプセルを開けると、三十年も前に流行ったアニメのフィギュアが出てきた。何歳のときだったか、剛がサンタに頼んだ品だ。
 六歳のときだ、と思い出した。
 朝、目を覚ますと、枕元にカプセルの入った紙袋があった。二十個はあったが、すべて開けても、お目当てのフィギュアは出てきてくれず、両親に向かって「サンタなんていない」と怒った記憶も蘇ってきた。
 申し訳ないことをした。サンタ・クローセズがどれだけ自分を大事に思ってくれていたのか、いまの剛には痛いほどわかった。
 足早に歩きながら、二年も帰省できていない実家に電話をかけた。なにか言いたい気分だった。
 空を見ると光がまたひとつ、まっすぐに進んでいた。あの光も、どこかに届くのだ。今夜はそんな光が無数に飛んでいる。クリスマスを口実に愛情を届ける夜だ。子が親に感謝を伝えてもいいだろう。そう思った。
「もしもし」と懐かしい声が距離を超えて聞こえてきた。

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