信号先生

 信号先生はいつも、信号をかぞえている。
 信号機の数ではなく、信号が青から黄色、黄色から赤、そしてまた赤から青に変わる、そのあいだの秒数をかぞえている。
 ほら、あれが信号先生。
 息子が指でしめしたところに、たしかに信号先生はいた。
 近所のコンビニと整骨院が斜向いに並ぶ交差点の、整骨院側の信号機のポールの下に、グレーの服を着た全長三十センチばかりの先生然とした姿だった。ずっといるんだよ、という息子の言葉を僕は最初まるで信じなかったが、夏の朝に引っ張ってこられて、これまで自分がいかに足元を見ていなかったかを思い知らされた。
「いや、仕方ないて」と信号先生は僕の落ち度を笑って許してくれた。
「なにしろここじゃみんな上か横しか見ない」
 つまり、信号機を見るか、車や人の動きを見るかのどちらかだというわけだ。
 信号先生はそこから動かないのだという。
「だから、まあ、信号機の時間を数えておるのだけれど」
「はあ」
「変わらなくてな」
「時間、ですか?」
「そう。それがいい」
「いいんだ」僕は驚いた。人にはいろんな好みがあるものだとわかっているつもりだったけれど、なにしろ相手は信号先生で、好みなどわからない。
 以来、僕はその交差点を通るたびに、先生に会釈をするようになった。
 その道は通勤、通学の時間帯を除けば交通量も少なく、わざわざ横断歩道まで歩くのも面倒で、信号など見ずに右と左ばかり注意してひょいっと渡っていたのだけれど、信号先生を知ってからは、ずるをできなくなった。僕が待っていると信号先生は「青になるまであと二十秒」などと教えてくれる。
 あるとき僕は信号機を見上げ、こちらも、あちらも、すべての信号が赤色の短い時間に、『運命』の例のメロディを口ずさんでみた。ジャジャジャジャーン。
「ぜんぶの信号が赤の時間って、この、ジャジャジャジャーンと同じくらいの長さらしいですね」
 それは僕が中学生のころに深夜ラジオのコマーシャルで得た知識だった。交通安全を訴えるCMだった。
「では、信号すべてが赤のときに誰が渡っているか知っているかね?」
 頭をひねる僕に、信号先生は答えを教えてくれた。
「幽霊たち」
 信号先生がそう言ってたよ、と息子に伝えた。それからというもの、息子は車がいようといまいと、信号を守るようになった。僕もだ。

Share Button