ネコの玄関

あるところに、おじいさんとおばあさんが暮らしていました。
ふたりの住む家は、ふしぎな家でした。
振り向いたり、ドアを開けたりするたびに、違う場所に出てしまうのです。
まるで迷路です。
寝室を出たら、いきなり外だったりします。
トイレに行きたいのに、お風呂に出たり、庭に出たりします。
漏らしそうになったことも一度や二度じゃありません。
ご飯をつくるため、なんとしても台所に、と思っても、本棚のある部屋に出て仕方なく本を読んだりします。

そんな家、住まなければいいのに、と思うでしょう?
だけど、おじいさんとおばあさんには、そこにいる理由がありました。

ふたりはもともとふたりではなく、ネコと三人で暮らしていたのです。
ネコの名前はミイといいました。
ミイがいたころは、まだ家もおかしくなっていませんでした。
おじいさんとおばあさんが悪い魔女を怒らせて、ある朝、目を覚ますと、家が迷路になっていたのです。
ミイは、もう、いませんでした。
いつも朝いちばんにベッドを出て、おひさまのあたる部屋に行くのです。
おじいさんとおばあさんは家の中をぐるぐる迷いながら、ミイをさがしました。
ミイのための小さなドアにはカギがかかっていました。
だから、きっと今も、家の中で迷っていると、おじいさんとおばあさんは考えていました。
だから、ミイとめぐりあうまで、そこに住むと決めたのです。

ある日、おじいさんは釣りにでかけ、おおきな鯛を釣ってきました。
ミイは鯛が大好きで、釣って帰ると玄関まで迎えにきてくれたものです。
おじいさんは、これでミイと会えるんじゃないかと期待して玄関を開けました。
だけどそこにはトイレがありました。
「ちがうちがう」とおじいさんはいいました。「トイレに行きたいんじゃない」

トイレのドアを開けて廊下を進み、つぎのドアを開けるとおばあさんがソファに座っていました。
ふたりで相談して、鯛を料理することに決めました。
料理するあいだ、ミイはいっつもおばあさんの足にピタリとくっついていたものです。
おじいさんとおばあさんは、いっしょに台所を目指しました。
だけど、そんなときに限って、なかなか台所にたどりつきません。

階段に出ました。
「ちがうちがう、二階に行きたいんじゃない」

客間に出ました。
「ちがうちがう、お客さんなんか来ない」

脱衣所に出ました。
「ちがうちがう、お風呂に入りたいんじゃない」

トイレに出ました。
「ちがうちがう、トイレに行きたいんじゃない」

寝室に出ました。
「ちがうちがう、眠りたいんじゃない」

またトイレに出ました。
「ちがうちがう、トイレに行きたいんじゃない」

食品庫に出ました。
「ちがうちがう、この鯛を料理したいんだ」

物置に出ました。
「ちがうちがう、道具なら台所にそろってる」

また寝室に出ました。
「ちょっと休憩しようか」とベッドに腰をおろしておじいさんが言いました。
「いいえ、魚が悪くなります」とおばあさんはいてもたってもいられないふうに言いました。
おじいさんはおばあさんの手をかりて、ベッドから立ち上がりました。

手をつないで寝室を出ると、そこはようやく台所でした。

おばあさんは料理をはじめました。
いつもは待つだけのおじいさんも、そのときばかりは手伝いました。
おばあさんはチラチラと足下を見ました。
準備をととのえて、鯛をグリルに入れて焼きはじめました。
ふたりは火加減を見るかたわら、いまにも冷蔵庫の上からミイがすとんと降りてこないかと見あげました。

鯛が焼けてもミイは現れませんでした。
テーブルに食事の準備をすませ、おじいさんとおばあさんは向い合って座りました。
テーブルには、ミイのぶんも取り分けてありました。
おじいさんとおばあさんは、しずかに食べました。
だんだん、かなしくなってきました。
どんどん、かなしくなってきました。
おじいさんとおばあさんは、ごちそうさま、と言う代わりに、涙をこぼしました。
いまでは骨だけになったお皿をよけて、おじいさんとおばあさんは、テーブルの上で手を握りました。

ミイのお皿を見て、おじいさんは思い出しました。
ミイの姿が見えないときは、外からお腹をすかせて戻ってくるだろうと、そのお皿を玄関に置いておくことを。
その家には玄関がふたつありました。
ひとつはおじいさんとおばあさんのための。
もうひとつはミイのための小さな玄関です。
それは家の裏側にありました。
夜、眠る前にはカギをかけるようにしていました。
迷路になってからというもの、一度だって、小さな玄関のカギを開けたことはありません。
そのことを、おじいさんは思い出したのです。

おじいさんはミイのお皿を持って立ち上がり、廊下に飛び出しました。
そこは大きな玄関でした。
ちがう!ちがう!
おじいさんはお皿の中身をこぼさないよう、だけど大急ぎで迷路の家を歩きまわりました。
食品庫。脱衣所。寝室。リビング。書斎。客間。階段だって走ってのぼりました。
息をきらして、足が痛くなって、のどがかわいて、それでもミイの玄関を目指して走りました。

階段をおりて、廊下を進んで、突き当りのドアを開けると、ようやく、小さな玄関を見つけました。
そこには、おばあさんもいました。
「ずいぶん遠回りしたんですね」とおばあさんは笑いました。
おじいさんは息を切らしながら、大切に運んできたお皿を玄関の前に置きました。
それから小さな玄関の小さなカギを開けました。
扉をひらいて、おじいさんとおばあさんは座って待ちました。
しばらくすると、扉のむこうにミイがひょいと顔を出しました。
おじいさんとおばあさんを見ると、にゃあ、と言って鯛を食べはじめました。

ミイがもどってくると、おじいさんとおばあさんの家も元通りになりました。
本当はミイが悪い魔女をやっつけてきたのですが、おじいさんとおばあさんはそのことを知りません。
ミイがどうやって魔女をやっつけたのかは、またこんどおはなしします。

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