地図にできる

 息子が5年にあがったとき、新しく赴任してきた小和田先生が担任になったと聞いた。おなじ苗字の友人が地元にいたことを思い出した。まさかと思ったが、その旧友が息子の担任だった。日本も世間も狭いものかもしれないが、故郷から遠く離れた地で再会するほどとは。
 その年の家庭訪問はコロナのため部屋にあがらず、玄関先での軽い面談だけと事前に告知されていた。リモートワークだった俺も挨拶に出た。マスク越しだったが、あっちも俺をおぼえてくれていて、まさか、もしかして、と握手しかけたところで「今はちょっと」と小和田の方が我に返り、互いに手を引っ込めた。
 マンションの廊下で聞いたのは、地元の採用試験には落ちたという話だった。それで九州を離れたという。俺は大学進学で上京し、こちらに居着いたことを伝えた。息子の担任と連絡先を交換していいものかわからず、授業参観も中止、運動会も中止、あれも中止、これも中止で、小和田と話す機会は訪れなかった。
 6年でも小和田は息子の担任で、修学旅行の写真でマスクをはずした旧友の老けた顔を見た俺は、古い記憶を蘇らせた。

 小和田は祖父母に育てられていた。事情は知らない。小学生だった俺たちは友人との会話で自分の親について語ったりしなかった。そんなのダサい、親がどうであれ自分は自分と思っていた。うちの父親は気に入らないことがあると食事のときまで黙っておいて、いきなりごはんの入った茶碗を壁に投げつけるような人間だった。説教開始の合図を自分でお膳立てして、それを「おまえのせいで茶碗が割れた」と叱って片付けさせた。
 卒業式に小和田の家族が爺さんと婆さんしか来ていなくて、そこで初めて「親は?」と聞いた。「いない」という返事に「へえ、いいな」と俺は羨んだ。
 過去に戻って取り消したい発言はいくつもあるけど、その「へえ、いいな」は消したい発言の上位にあった。だけど四半世紀も前の一言を気にしているのは俺の側だけだろう。いまさら謝ったところで、キョトンとされるのがオチだ。

 結局、まともな交流もないままに息子が卒業式を迎えた。体育館での授与式のあと、各教室で最後のホームルームが催された。式には各家庭2名まで参加できたが、教室に行くのは各家庭1名に制限された。学校行事は妻に任せていたのだが、そのときばかりは「行ってきなよ」と妻の方から背中を押された。
 息子のクラスは4階にあった。保護者はほぼ母親で、俺は廊下から、誰かの母親の頭越しに息子の横顔を見ていた。小和田が教壇に立った。卒業証書をもらうみんなの姿が誇らしかったとか、そういった話に続けて、こんなことを語った。
「今日、ここを卒業していくみなさんは、一枚の地図を手にしています。それはみなさんがこれから生きる未来を大まかな輪郭として描いただけの白地図です。まだ、たいした情報は書かれていません」
 小和田はそこで一呼吸おいて、子供たちを見渡した。
「小学校は初等教育とも呼ばれます。社会に出て、生活していくために最低限必要な知識と技術を身につけることが目的です。だから、みなさんはまだ、どこにも歩き出していない、とも言えます。この学校で歩くための準備を整えてきたのです」
 言葉を切り、安心していいといいたげに笑みを浮かべた小和田は、こう続けた。
「これからどこへ向かうのか。胸が躍る場面もあるでしょう。乗り越えられそうもない難所も来るでしょう。心や体を休めるための場所も見つけるでしょう。みなさんはこの6年間で学んだはずです。世界にはたくさんの仕組みがあり、ルールがあり、いつだって良くしていける余地が残されています。中学生になれば、勉強はもっと深く、難しくなります。得意、不得意の差もひらいていきます。でもそれでいいのです。みなさんが書いていく地図はそれぞれに違ったものになります。同じ世界に生きていても、行ける場所はそれぞれです。大切なのは、みなさんがもう、地図を一枚持っている、という事実です。そして、これから出会うすべてのことを地図に書き足していける、ということです。どんなに大変なことも、どんなに嬉しいことも、地図にできる。どこに進めばいいかわからなくなったとき、絶望せず、こう考えてみてください。この経験を地図に書くなら、どのあたりに、どんなふうに書こうか、と」
 小和田の話を聞きながら、俺は自分の地図を思った。いまさら白地図とはいかないが、完成品とも言えない。そもそも完成なんてあるのか。
 狭いと思っていた世界が急に広がった気がした。
「先生には両親がいませんでした」と小和田は続けた。「おじいちゃんとおばあちゃんに育ててもらいました。テレビを見ると、ドラマでも、CMでも、家族が映されます。両親と子供ふたり、核家族と言いますが、それが普通と言われているようで、だから先生はテレビを避けていました。そして、今日のみんなと同じ、小学校の卒業式の日にこんなことがありました。先生の家族はおじいちゃんとおばあちゃんで、ふたりが式に来てくれたんです。あまり嬉しくはありませんでしたが、来ないでとも言えないし」
 そこで小和田はうつむいた。自分を鼓舞するつもりか、肩を小さくふるわせて笑った。
「そしたら、友達が聞いてきたんです。親は?って」
 声色を変えて小和田は言った。俺には俺の声で聞こえた。
「いない、と先生が返すと、友達はどうってことなさそうに、へえ、いいな、って、それだけ言いました。それが、すごく役に立った。先生はそれまで自分の家族を深い谷の底、真っ暗闇と思い込んでいました。だけどその一言で、山のてっぺんにしてもいいんだと気づいたんです」
 俺は息子の横顔に視線を逃した。
「保護者の皆様も、本日は、おめでとうございます。そしてお子様の大切な時間を私たちにお預けいただき、ありがとうございました」
 深く頭を下げ、保護者たちもそれに倣った。俺は一歩下がって、小和田が見えない位置に立った。
「お子様たちはこれから、文字通り、旅を始めます。地図のない旅、と考えると不安でしょうが、地図を書くための旅、と考えると、歩く勇気につながるのではないでしょうか。迷うことも、躓くことも、危険地帯に好奇心だけで突っ込んでいくことだってあるかもしれません。よかったら、話を聞いてあげてください。みなさんも知らない世界についてお子さんたちが教えてくれる、そういう日が、すぐに来ると思います」
 ホームルームが終わると、校庭に降りて集合写真の撮影が行われた。校庭で待っていた妻は俺の目を見て「わ、泣いた」と冷やかした。
 息子が小和田とふたりで写真を撮るというので、俺も入れてもらった。妙な気分だった。友達と、息子と、三人での写真だなんて。
「これは地図ならどんなところなんだよ」と立ち位置を決めながら意地悪を言った。
 小和田はおかしそうに「小学校だよ」と返した。
「僕の出発点であり、ホームグラウンドだ」
「へえ、いいな」と俺は言ってピースサインを作った。

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