バス停の母娘
通勤のバスで、毎朝、娘を追い越していく。
すれちがいざま、わたしを見つけると、手を振ってくれる。
娘が小学校にあがるのにあわせて越してきた町だった。真新しい公園が近くにあって、学校からマンションまで人通りも多く明るい道でつながっていた。義務教育からレベルが高く、高校選びもここなら心配ない。娘のため、娘のため、という一心で決めた新居。私の通勤時間が短縮されるのも決め手のひとつだった。保育園にあずけていたころは、お迎えの門限に間に合うか、毎日、戦々恐々としていた。午後五時で仕事を中断するのは惜しかったけど、お迎えに遅刻するのはもっと口惜しかった。
「引っ越したら、ママと遊ぶ時間も増えるね」と娘に嘘をついた。
保育園のお友達と会えなくなるのがイヤだと大泣きされたときのことだ。きっと娘は忘れてる。もう、十歳だ。おしゃれにもうるさくなって、私の服装にも口を出す。毎朝、バス停で別れるとき、襟や髪をチェックされる。バスが現れると私のほうが「行ってきます」と言う。娘はともだちのもとへ走りだし、登校する娘たちをバスが追い越していく。
職場が近くなったぶんの余裕は、仕事に充てることになった。仕事を持ち帰る日も増えた。小学生は送り迎えの必要もなく、娘は娘で夢中になれるものがあった。このごろはビーズアクセサリーにのめりこみ、声をかけなければ食事も忘れる。そのあいだに仕事を片付ける。私は、娘に甘えていた。
授業参観のおしらせを持ってきたときも、娘は私を気遣ってくれた。
「無理して来なくていいからね」
それまでの授業参観を欠席したことはなかったのに、そんなふうに言われると、ずっと無理してきたみたいだった。
会社の後輩に弱音を吐くと「そのうちわかってくれますよ」と慰められた。
「うちも共働きだったんですけど、母親のこと尊敬してましたもん」
そうなればいいとは思う。大人の感じ方に早く追いついてくれないかと。だけど、その期待だって甘えにちがいない。
休暇願が無事に受理され、「ママ、いくからね」と伝えた。
「じゃあ、コーディネイトまかせてもらえる?」
嬉しそうに尋ねた娘は、クローゼットからさっそく洋服をセレクトしてきた。普段から仕事に着ていく、ダークで素っ気ないスタイルだった。
「ママ、いつもかっこいいねって言われてるんだよ」
バス停で別れるところを娘のともだちに見られているのは知ってたけど、そんなふうに言われているのは初耳で、照れくさかった。
「でも、こんな地味でいいの?」
すると娘は、にんまりと笑って花をかたどったビーズアクセサリーを取り出し、濃紺のジャケットに重ねて置いた。最初からそのコーディネイトで来てほしかったのに、恥ずかしくて言い出せず、「無理して来なくていい」と口走ってしまったことも打ち明けられた。
授業参観の朝、先に学校へ行く娘を、いつものバス停まで送っていった。
ともだちを見つけるや、娘は「行ってきます!」と明るく言って駆けていった。
その背中に追いつくように、「行ってらっしゃい」と私は手を振った。
◎住宅関連の広告のために書いたショートストーリー。福岡のフリーペーパーに掲載されました。