くつした

 河原で流星群を眺めていた。
 三十三を数えるころには、寒すぎて涙が滲んでいた。
 十一月の下旬。山奥の、渓流で客を呼ぶ温泉街だった。
 暗い帰り道の途中、道路を足が横切っていくのを目撃した。膝から下の、左右ひと揃いの裸の足が、てく、てく、と。歩くというより追いかけっこするみたいに、交互に跳ねて、追い越し、追いつかれしていた。
 車道を右から左へ渡り終えるや、わたしは旅館目指して駆け出した。
 フロントで居眠りしていた若い男性スタッフに自分が見たものを語ると、彼は平然とした顔で「ああ、昨日、ひとりいきましたから」と言う。聞けば、その地方では珍しくない光景だそうだ。死人が出ると両足を膝下あたりで切断する。足はもともと別個の生き物で、上の人が死んでもしばらくは足だけで生きるのだとか。まさかと驚くわたしに、彼は「でもほんとなんです」と眉のあたりを掻きながら言った。
「だって幽霊、足ないでしょう。足だけで喋るでもないし、体を持ち上げて動き出すだけの力もないから、よそじゃ無視するようになったらしいです。ほら、そういうの、知っちゃうと、気味のいいものでもないですし」
 まだ信じられずにいるわたしに彼はソファへ腰掛けるよう告げた。時刻は午前三時をまわっていた。その界隈では比較的新しい旅館だったけれど、調度品はどれも色褪せていたし、空気にカビの臭いもした。
 彼は橙色の手ぬぐいを持ってきて、わたしに目隠しするよう言った。それからソファに横になって裸足になってから両足をのばしてと促された。手足はまだかじかんでいたけれど、おとなしく従った。
 足の指先に、つ、となにかが触れた。彼の指だろう。どの指さわったかわかりますか? 右足の薬指。わたしは答えた。自分の声も他人みたいだった。ちがいます、と聞こえた。これは? 左足の、小指。違います。うそ? ほんとうです。じゃあ、これは? 右足の、中指。これは? もう一回。右足の、薬指。正解です。やった。じゃあ、つぎ。左足の……。

 部屋に戻ったわたしはエアコンのスイッチを入れ、コートも脱がず布団に潜り込んだ。すこしぬくもってきて両足がもぞもぞとした。布団の中で靴下を、足だけで脱いだ。
 この地方では死人の足を斬り落とすと、戸外に置く。どこへなり行けるところまで行けよ、というわけだ。どこに消えるか、だれも知らない。
 部屋が温かくなったので布団から出てコートを脱ぎ、寝間着に着替えた。布団の中から脱いだばかりの靴下を取り上げて枕元に置こうとしたとき、爪先に穴を見つけた。別れた彼からもらったものだった。
 電気は点けたまま布団に入った。
 あの二本の足、寒そうだった。穴あきでよければ、靴下くらいあげればよかった。足だけじゃ履けないか。
 うまく眠れなくて、ゴミ箱から拾った靴下を手に表へ出た。
 旅館の照明が落ちる路上に靴下をならべて置いて、走って戻った。

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