浴室戦隊
浴室戦隊の敵がカビだったらよかったのに、彼らが目の敵にしているのは換気扇だ。
なぜなら、浴室戦隊の合体メカは巨大扇風機であり、彼らの敵は臭いだから。
初めて彼らを目にしたのは、まだ寒い二月の、日曜の夜だった。五歳になる息子はパパと風呂に入ってくれたから、私は夕飯のあとでひとり、のんびり湯船につかっていた。すると、視界の隅でなにかが動いた。ゴキブリかと、私は慌てた。でもそれは、十五センチほどの真っ赤な人形だった。戦隊もののレッドだ。息子が持ち込んだものだろうか。ドアのそばにまっすぐ立っているレッドに、でも、どうして気づかなかったんだろう? 疲れているせいだろうか。そう思っていると、レッドが歩きはじめた。私は悲鳴をあげた。すぐに息子がかけつけてドアをあけた。
「どうしたの?」
「それ! それ!」
指さす先に、たしかにレッドが歩いているのに、息子には見えてないらしく、あとからのんびりやってきた夫にも、なにも見えないらしかった。いるじゃん、と主張しても、頭を心配されるばかりで、のぼせたんじゃないの、と笑われた。
ドアがしめられ、私はレッドとふたりきりにされた。
「やあ」とレッドは少年めいた声で、快活に手をあげた。「ぼくはバスレッド。ぼくが見えるんだね、驚いたなー」
返事などできるはずもなく、私は浴槽から発射されるみたいに飛び出して脱衣所に逃げ、バスタオルでいいかげんに体を拭いてから、服も着ずにリビングへ急いだ。
その晩は換気扇もつけず、浴槽に蓋もしていなかったので、翌朝、息子を幼稚園に送ったあとで、意を決して浴室に入った。昨日のあれは疲れのせいだと言い聞かせながら。
でも、浴室の扉をあけると、そこには私の腰ほどまである巨大扇風機が置かれていて、室内の風を勢いよくかきまぜていた。
唖然とする私の目の前で扇風機はプロペラをまわすのをやめ、変形を始めた。五つのパーツにわかれたそれらは、ヘリコプターに戦闘機、バイクにトラックにロケットと、それぞれ別の乗り物に姿を変えた。そして、一台に一人ずつ、赤、黒、緑、黄、ピンクの人物が乗っていた。
浴室戦隊バスロマン、と、乗り物から飛び降りた彼らは華麗なポーズとともに名乗った。
いや、まて、それは入浴剤では、というツッコミは頭の中に響いただけで、口にはできなかった。発音は「バスロ・マン」と聞こえたから、ロマンは関係ないのだろう。バスロってなんだ? などと、いまでは私も落ち着いて書けるのだけれど、あの日は、そのまま意識を失った。ガリバーよろしく、浴室戦隊の五人に揺り起こされて、それから、諦めるみたいに説明を聞いた。
浴室戦隊の使命は臭いを撃退すること。でも、だいたいどこの家でも換気扇か窓があって、活躍の場が少ないのだという。どうして我が家に、という問いかけには、「んー、なんとなく」とバスレッドに返された。うちが臭いってこと?
「そういうわけじゃないさ」とバスブラックがクールに答えた。
「基本的に初めてのお宅にうかがうようにしています」とバスグリーンは端正に告げた。
「料理の臭いは味方なんだけどね」とバスイエロー。
「でも、あなた女よね?」とバスピンクが失礼なことを聞いてきた。女です。「じゃあどうして、わたしたちのことが見えるのかしら?」
「どういう意味?」
「少年の心をもった人物にしか、ぼくたちの姿は見えないんだ!」
ほがらかに、バスレッドが教えてくれた。息子はまだ幼児だから。四十二歳の夫は大人だから。じゃあ、どうして私に見えるのか。少年の心?
換気扇をつけると浴室戦隊から苦情が出るので、そこは彼らに任せることにした。
ある晩、旦那が焼き肉を食べて帰宅して煙草の臭いまでぷんぷんさせていたから、スーツからシャツからぜんぶを浴室に干しておいた。すると臭いは完全に消えていた。すごいじゃないの、浴室戦隊。息子の便も一人前の臭いを放つようになってきたから、便所戦隊に変更できないのか尋ねてみたら、それはそれで存在するらしい。戦隊ものはいくつもの数があり、それらがいろんな家を一年ごとに交替で住み着いているから、そのうち便所戦隊も来るのではないかと、バスグリーンが丁寧に教えてくれた。
休日出勤に呼び出されてしまった夫の代わりに、息子とともに戦隊モノの映画を観に行ったとき、そこでは過去の戦隊が大集合していたわけだけれど、その戦いに胸を熱くさせながら私が願ったのは、我が家でも年末の大掃除のころに戦隊が大集合してくれないだろうか、ということだった。キッチンの油汚れも、テレビ台の裏の埃も、きれいにしてくれたら、すごくラクなのに。
映画から戻ると、浴室戦隊は消えていた。どこにも、いないのだ。
浴室は臭くない。換気扇をつけわすれても、臭くならない。
だからきっと見えないだけで、まだ、ここに。