くつべらのきみ

「昔々、あるところにお姫様がいました。それが、わたし」
 くつべらのきみは、そう語った。
 五歳のナナは、まるごと信じた。
 くつべらを自分の部屋に持ち込んでから、何日かが過ぎた。
 ナナのパパがくつべらを探したのは最初の朝だけで、翌日からは、特に気にもしなかった。
「もう長いこと使ってくれてないから」と、くつべらのきみは、あまりさみしそうではなく、笑った。
 靴箱の取っ手に引っ掛けられていた黒いエナメル質のくつべらに、ナナは憧れていた。
 パパの真似をして自分のかかとにあてがってみたことも、何度もあった。
「かかとの王を、わたしが飲み込んだの」と、くつべらのきみは語った。
 ナナはベッドの下に黒いくつべらを隠しておいて、布団に入るときに手に握りしめた。
 すると、くつべらのきみがベッドの端にちょこんと座って、寝物語をしてくれた。
「かかとの王はね、わたしの天敵だった。あいつ、自分さえいれば、あらゆる履物のかかとを守れる、だからくつべらなど無用の長物だとかいって、だから、飲み込んでやったの」
 以来、世の中のかかとたちは、ずいぶんひどい目に遭っているのだという。
 ナナはママからかかとを踏まないよう、しつこく言われていて、いまのところ守っている。
「かかとの王がいなくなってからというもの、かかとの国は指導者がいなくて、困っているそうです。めでたしめでたし」
 くつべらのきみの物語が終わると、ナナは聞いた。
「あたしがきちんとママの言うこと守ったら、かかとの国のおひめさまになれる?」
「わたしと敵対することになるよ」と、くつべらのきみが笑みを浮かべる。「喧嘩になるけど、いい?」
「やだ」
「じゃあ、おとなしく、くつべらを使いなさい」
「はやく使いたいんだよ」
「硬い靴を履けるようにならないとね」
 ナナは、すとん、と眠りに落ちて、夢のなかでガラスの靴をはいたお姫様になっている。
 くつべらを探すが、かかとの王が「飲み込んでやった」と大笑いしていた。

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